夏休み16/44日目(実家帰省4日目)

makonet2004-08-15

A今日の画像
 とりあえずアドマイヤドン。今年のフェブラリーステークスで断然の人気を集めた。自分もアドマイヤドンから流して見事に的中した。
B長野での暇な日々3
 午前中は父の兄弟が遊びに来たせいで、いろいろ手伝わされる。
 午後は、チアズメッセージが来なくてクイーンステークスをはずす。しかし、小倉記念は文句なしの的中。
 ソフトはオーストラリアに負けたが、台湾に勝つ。野球はイタリアに12−0で快勝。サッカーは相当期待されていたにもかかわらず、その期待を見事に裏切って、パラグアイに3−4、イタリアに2−3で敗れて予選リーグ敗退決定。那須の前半5分でのミスがすべてだった。日本のおなじみバックパスから点を取られるパターンで1点を取られたことで日本のペースが崩れて負けた。(この時那須はクリアしていればよかったのだ。敵が前に詰めてきていたのだから。) 
 北島が100メートル平で金。こっちは期待通りの結果を出した。

終戦記念日
 今年で59年目。数日前に戦争の事実をまとめるような事を書いたような気がしたので今日ここに記録しておこう。さてここで1930年代〜1945年までの戦争時代について振り返ってみることにする。
 その前に、この日の夜不思議な夢を見たので紹介しておく。ただしあくまでその夢は、まず最初に就職活動で自分が何社か面接を受けたが、内定が出ず、さらに国家試験も落ちて親に文句を散々いわれた後に、急に自分の昔の家にタイムスリップをする。
 自分はその家の前に立っていて、自分の近くにある人が1人やってきた。よく見ると、原子爆弾で被災した人のようで、自分に対して本当の世界の歴史を知らない中国人を殺してほしいというのだ。そして、歴史を知らない中国人を殺せと叫ぶ人が沢山自分の周りに近づいてくる。この人たちも原爆で被災した人たちのようだった。さらにその人たちは水が欲しいとせがんできたので、自分の家の風呂にその人たちを迎え入れると、その人たちは満足したようで、何度もお礼をいいながら再び、中国人を殺せといってきた。だんだん水を求めてくる人が増えてきて、風呂場に人がどんどん来て自分が押しつぶされそうになった時に目が覚めた。起きたのが3:00頃。その後は普通に眠れたが、その夢をみ終わったときに、頭が妙にズキズキ痛む。原爆で被災した日本人たちに自分が呪われたのか・・・そんな気がした。

 さて本題に戻ろう。1930年代〜1945年8月15日までを通称15年戦争というが、日本はどのようにこの時期を過ごしたのか。とりあえず年表から。

 1931年 満州事変
 1932年 上海事変
 1933年 日本国際連盟から脱退
 1937年 盧溝橋事件・南京大虐殺南京大虐殺については後ほど大いに議論する)
 1940年 日独伊三国軍事同盟
 1941年12月8日 太平洋戦争開始 パールハーバーを攻撃
 1942年 1月2日   マニラ占拠
 1942年 2月15日  シンガポール占拠
 1942年 6月     ミッドウェイ海戦で日本敗れる
 1943年 2月     ガダルカナル島で占拠していた日本軍全滅
              ドイツ降伏
       9月     イタリア降伏
       ?月     アッツ島でも敗れる
      10月     学徒出陣
 1944年 3月     日本インパール作戦
       7月     サイパン島守備隊全滅
      10月     神風特攻隊初出撃
 1945年3月9・10日 東京大空襲
      4月1日    アメリカ軍沖縄に上陸。(6月に占拠)
      8月6日    広島に原爆投下
      8月8日    日ソ不可侵条約を破棄したソ連が攻撃参戦
      8月9日    長崎に原爆投下
      8月14日   ポツダム宣言受諾
      8月15日   午後12:00 玉音放送流れる

 さて日本は世界情勢が「帝国主義」に向かっていたことを受けて、残念ながら戦争をし、多大な損害を被り、今に至る。だが1つ疑問に思うのが、南京大虐殺というものだ。中学や高校で日本軍は南京の人を20万から30万もの人を殺したという事を教わった。しかし、どうしてもわずか半年で大敗した軍が、果たしてわずか1ヶ月で南京の中国人の20万人から30万人を殺せたのか疑問に思うのだ。高校時代から思い続けていた。そこで、今回はこの南京大虐殺について大いに考えてみよう。

 いきなりだが、今回自身がいいたいことは、南京大虐殺はない!!!!!!!!!!ということだ。その理由を自分なりに本やインターネットで調べたものを書いておこう。

 まず1つ目。南京大虐殺肯定派が主張、及び東京裁判で提出された、当時の南京の人口と、死亡者数が合わないことがあげられる。肯定派は死者30万人以上だというが、これは当時の南京の人口が15万から20万だったという事実に合わない。どうして30万以上というデータが出せたのか疑問だ。
 自分で調べてみれば、せいぜい2000〜最大10000人が当時の日本の兵力としては限界。そして、殺害されたのは武器を持ってない人に見せかけたスパイ兵が大半という。(インターネットでは10000で、図書館にあったものは2000〜6000なので、こういった数値を出している)

 2つ目。それは当時南京にいたジャーナリストやカメラマンがこの南京大虐殺の事実を知らなかったという事だ。普通こういう人がいるなら、南京大虐殺といった大騒動があればいち早く駆けつけて事実を伝えるはずだろう。だが、伝える側がそれを知らないというのはなぜだろう。これを肯定派には証明してほしい。本で調べると、たいていのジャーナリスト・カメラマンなどは口をそろえて、「大虐殺という事実は聞いた事がない」ということが書かれていた。つまり大虐殺という事実はあくまで誇大表現にすぎないと思われる。

 3つ目。30万人を殺したならば、その遺体はどこへ処分したのか。とりあえず、以下の資料を見てほしい。以下の資料は実際東京裁判や、中国にある遺体数の記録の一部だ。すると上記中国側が示したものは30万それ以上を示している。そして東京裁判では15万から16万の遺体があったとしている。
 
  1 紅卍字会の約4.2万
  2 崇善堂の約11.2万
  3 太田供述の15万(水葬約7万他日本軍が処理したもの)
  4 その他約6万

  東京裁判に提出されたのは
  「紅卍字会=約4.2万」
  「崇善堂=約11.2万」
  「個人埋葬と南京市長の合計=約1.3万」である。

 だが2つ目の理由と重複する部分が出てくるが、これらの遺体を埋葬した様子をジャーナリストやカメラマンが見ていないという。ないものをどうやってこうして数値化したのか。さらに上記2つのデータは日本が非常に残虐だという事を世界にアピールするために、埋葬しなおしのものまで含めて30万あるいは15〜16万にしたというのだ。実に中国人はせこい。
 では実際はどうなのかといえば、外国の書物を見ると、せいぜい3万。5倍から10倍に数値を変えるとは中国人はインチキなもんだ。

 4つ目。30万人を1ヶ月で殺せる軍隊がどうしてアメリカ軍に負けたのか。これについては本当に悩む。ミッドウェー海戦で10万ほどの軍隊でアメリカ軍と戦ったわけだが、たった3時間ぐらいしかもたなかった。そんな軍隊がこれだけの人数を殺せただろうか。